ちゃんと写真を撮ってみた。
レンズ部分を取り外し、35ミリカメラ用に改造しようと思う。
こういうときいつも心が痛む。
カメラは人間ではないが、たぶん人間の立場になって考えてしまうからだろう。
しかし、カメラは人間ではない。
全く違った接し方が必要になるはずだ。
2011/12/30
盃のような月がきれいだった。
カメラを始めたころ愛読した「Nikon Nice Shot」の表紙みたいにベタな写真になった。
最寄り駅前が開発で、建物が壊されている。
土肌がむき出しだ。
レンズというより、ガラス玉のような素朴な光沢をしている。
107mm F6.3という数字が古さを物語っている。
1900年代はじめのものと思われる。
100年前の時間が撮れるような気がする。
SMC TAKUMAR 1:1.8/55 を買った。
めずらしく、ゴミやカビ・傷も無いとてもきれいなレンズで1800円。
タクマーの標準レンズは中古市場でとても安い。
安いけれど、いい味があってお買い得だと思う。
1800円。
これで3本のSMC TAKUMAR 1:1.8/55を持つことになった。
NIKON F801
機能がデザインを決定することがある。
デザインが機能を決定することもあるだろう。
しかし、グリップ部分にある赤い線はどう考えても無駄である。
おまけに、無神経である。
要らんものが、さも必要な顔をして堂々とあるこのデザインが嫌いだ。
試しに黒いテープを貼り付けて消してみたら、いくらかすっきりした。
そうしたらNikon F801Sが少し好きになった
Makro-Kilar。
マクロ・・・キラー・・・。
凄みのある名前である。
しかし、Killerではない。
でも語感としては [Killfitt-Makro-Killer] だったりする。
優れた描写力とデザインがすばらしい。